宮崎市 柔道場 明道館

明道館の歴史

現在の明道館は、昭和27年11月3日故見原平三郎8段が現在の地に青空道場として自宅庭にさらし縁を敷き、その上に畳12枚を引いて練習を開始したのが始まりです。

 

 

前館長見原平三郎8段は、日大日本武徳会武道専門学校柔道科を卒業して、武道教師として、終戦まで朝鮮の京城中学校の武道教師を勤めていましたが、日本が戦争に負けたことにより、大陸から引き上げてきました。

 

戦後宮崎刑務所の刑務官となり柔道教師を務め、退職後、整骨院を開設すると共に、最初は、子供を鍛えるためにと始めた青空道場に、近隣の青少年が集うようになり、練習生が増えるに従い、畳も増えていき32畳の青空道場で練習していました。

 

 

宮崎交通の初代社長岩切章太郎さんの実家が鍋屋で、そこの倉庫に畳を敷き、宮崎市大淀の青少年が集って、柔道を稽古した淀南会(ていなんかい)があり、故見原平三郎前館長が、中学生時代通って鍛えられた、その淀南会の名を頂いて淀南道場(ていなんどうじょう)と命名しておりました。

 

 

淀南とは大淀川の南側の地域に住む大物、という意味と聞いております。

 

練習日火・木・土・日の週4日、午後5時から9時までの、少年部と成年部の二部制で行い、雨が降ると休みで、翌日が晴れれば変わりに行う、というようなことで稽古を続けてきました。

 

練習を始めるにあたっては、さらし縁と畳敷きから始めなくてはならず、それが良いトレーニングにもなりました。それがきつくて止めたという練習生の話しも多数聞きます。

 

夏は風通しがよく快適なのですが、動きを止めると蚊に刺されます。

 

又冬は畳が霜ですべり寒く子供たちが泣きながら稽古をしていました。

 

多くの門下生が育ち、宮崎県、いや全国で多く活躍されています。

 

 

昭和50年、現見原道生明道館館長が福岡大学・明治柔道整復専門学校を卒業し、京都で整骨の研修を終え宮崎に帰り、昭和51年5月、現在の地に建物を作り、前館長の恩師栗原民雄10段(大日本武徳会京都武道専門学校の主任教授・第1回天覧試合優勝者)の主催する、京都の明道館の名前を栗原民雄10段より頂き、「明道館」と命名し活動を続けてきました。

 

 

明道館が60周年を迎えたときに祝賀会を行い、また、文集を作成しました。
そのときの館長の挨拶が明道館の歴史を物語る物となっていますので、ご一読ください。

 

「御挨拶」

 

明道館館長見原道生七段

 

平成24 年11 月3 日をもって、明道館が60 周年を迎えることが出来ました。
これは前館長見原平三郎八段はもとより、故人になられた荒武三郎先生(平成24 年7 月)、鈴木巌光先生をはじめ、現在の木下勝巳先生、鳥居弘茂先生、長友龍治先生、歌津清文先生多くの指導頂く先生方と、父母の会役員皆様の御尽力と常に暖かくご支援ご協力頂いている、明道館先輩諸氏の賜物と厚く御礼申し上げます。

 

宮崎県は戦前、宮崎県が生んだ磯貝十段の指導により、柔道王国を築き、多くの柔道家を輩出しております。

 

磯貝十段の指導を受け武専卒業後、旧制宮崎中学校の柔道教師として、宮崎県の柔道の礎(戦前)を築かれた野津原正雄八段の指導を受けた前館長見原平三郎八段は、大日本武徳会武道専門学校に進まれ、野津原先生の後輩である栗原民雄先生
(武道主任教授十段)の内弟子として武専を卒業、その後人吉中、飫肥中、大連一中、京城中の柔道教師を努め終戦を迎えました。

 

戦後柔道は禁止となり柔道教師の職を失った父は、治安を守る警察官、刑務官に柔道が許可されると、宮崎刑務所に勤務し看守に柔道指導、その刑務所の道場に若き日の荒武三郎先生、戸高清光先生、生野義男先生、石川厚先生など宮崎市近郊の柔道を愛する多く の有志が集い柔道の稽古を再開したという歴史があります。

 

宮崎刑務所勤務を辞して整骨院を開業した父は、昭和27 年11 月3 日現明道館の地に青空道場として、「淀南道場」を開設し、子供たちに柔道を教えて来ました。淀南道場から多くの人材が育ち社会の多方面で活躍されております。

 

私も小学生低学年から柔道を習い始めましたが、戦後の食糧難の時代で、体が小さく虚弱体質だったので、中学前半までは弱く、柔道が面白くなったのは、中学後半で体が少し出来てからです。

 

柔道の基本を、しっかりと身につける稽古をしてきていますので、技がかかるようになり自然に柔道が面白くなってきました。

 

しかし、柔道での親の期待はなく、私が柔道を熱心にやれば「柔道では飯は食えない」と専門家になることに反対されました。父の飫肥中時代の教え子である日南市の中原新六七段(武専卒)が、「好きでやるというものはやらせてみてはどうですか?」、と父を説得してくださり、ようやく大学で柔道に打ち込むことを認めてもらいました。

 

柔道を専門に志すなら、体が小さいが天覧試合にも出場された、父の武専時代の先輩である久永貞男九段(身長160cm、体重67kg)に預けるのが一番だと言うことで、福岡大学の教授で、柔道師範をされていた久永先生に弟子入りし、先生の游就館道場と福岡大学柔道部で修業し、卒業後は今度は父の恩師である栗原民雄十段宅にお世話になり、整骨の研修をさせて頂きました。

 

その親子二代にわたってお世話になった栗原民雄先生から、「明道館」の名前を頂きました。

 

この明道館は、栗原民雄先生が京都で開設されていた柔道場の名前ですが、道場新築の時は、栗原先生の道場はやめられておられ、その名を贈って頂きました。栗原先生の明道館の名の由来は、不遷流の寝技の達人であった、栗原先生の師である田辺又右衛門
先生から頂いたと聞いております。
私が宮崎に帰ってから「柔道は自分一代でいい」と言う父を説得して、昭和51 年5 月3 日、現明道館を新築して青空道場の24 年間と明道館での36 年間の計60 年経過しました。

 

専門家を多く育て、又、学校柔道に永年携わった前館長は、「人を育てる」ことに重きをおいてきましたので、明道館から多くの社会を背負う人材が育っております。

 

町道場には、色々な人々が来館され多様性が求められます。

 

小・中学生の健全育成として教育的な面、高校生、大学生の競技として強さ厳しさを求める面、一般社会人の健康維持、社交面などそれぞれに応じた柔道があります。

 

この明道館で育まれた柔道精神又、汗を流して培った友情は、生涯の素晴らしい財産になるでしょう。

 

明道館から、世界に羽ばたく選手人材が育つ事を、願ってやみません。

 

今後とも、明道館への御協力賜りますようお願い申し上げます。

 

皆様の御活躍と御健康をお祈り致し、御挨拶とさせて頂きます。

 

平成24 年11 月4 日